内外時評

イラク日本人拘束事件に想う

月刊 FEC ニュース2004年5月号

 

イラク日本人拘束事件に関連して、フランスの高級紙「ル・モンド」(4月 17日号)に掲載された日本の 非政府組織(NGO) の活動を評価する記事が我が国の国会でも言及されるなど、反響を呼んだ。エスプリのきいた、そして日本に関して時折かなり辛辣な論評をする東京特派員のフィリップ・ポンス氏が日本の新しい世代にみられる海外人道支援の活動を評価したことは、確かに注目に値した。

フランスといえば、20世紀の同国を代表する詩人、劇作家、エッセイストであると同時に優れた職業外交官であったポール・クローデルが、駐日大使時代(1921−27年)に本国に書き送った外交書簡のなかで、 「公式・非公式の政府のあらゆる仕組み以外に、まだはっきりとは形をなしていない力が芽生え育ちつつあります。アジア人の考え方は曖昧模糊としていますから、そのなかからこの力が形成されるまでには時間がかかります」 と指摘していたことが思い出された。

一方、 国内では、元人質に対する「無謀・無責任」との誹謗、家族の謝罪の要否、などが各方面で論議され、さらに私人が国際紛争に巻き込まれた場合の市民社会と国家・政府の対応のありかたについても多様な見解が示された。確かに、犯人グループが自衛隊の撤退を要求したこともあって、国家意志に関わる問題が国民の人命尊重の問題と絡み合い、被害者、その家族、市民社会、国家・政府、それぞれのレベルでの責任と対応のあり方に関する論議を複雑にした。

この種の国際的な人質事件が日本人をも巻き込んで今後も発生する可能性は否定できない。こうした事態に対処する場合に、 歯切れのよい、簡潔な論議での割り切りは難しく、また、危険でもある。しかしながら、 少なくとも一つのことについては、民主主義国家である我が国において国民の完全な合意がなければならない。それは、たとえ時の政府の政策と異なる見解を持つ国民であっても、また、その人に判断の誤りがあったとしても、国はその人を保護する義務があることだ。この点については、クローデルも指摘したアジア的曖昧が我が国に残されていてはならない。 

 それにしても、今回の忌まわしい事件が生じた直後からの我が国メディアの一点集中主義の報道は、異常であった。欧米の一流メディアに比べると、我が国の報道機関が提供する国際政治関連情報は手薄であるが、あの事件発生後は特に極端であった。日本にはいわゆるクオリティー・ペーパーがないという指摘がかねてからあるが、我が国報道界の内向きの姿勢は一般国民の志向を反映したものであるとも言えるかもしれない。ポンス氏には日本人の若者が少し褒められたが、クローデルは天国で、「日本人の国際感覚が本物になるまでには時間がかかります」と言っているかもしれない。