悪循環打開に円高是正を

金融政策と一体で
国内構造調整も不可欠

前OECD事務総長 重原 久美春

日本経済新聞「経済教室」2003年4月28日

日本経済低迷の根本にあるのは円高による競争力喪失だ。デフレや不良債権の悪循環を打開するには一時的措置として円相場の調整に踏み切るべきである。金融政策と為替政策の一体運用が必要だ。貿易相手国の理解を得るには、競争促進や貿易自由化など構造調整策が不可欠だ。

輸出数量増加 世界の約半分

イラク戦争が事実上、早期終結したが、米国経済の急速な立ち直りは期待できない。欧州経済も停滞色が強い。海外の経済環境が良くない中で、日本経済の回復を図るのは容易ではない。
 しかし、海外環境が順調な時期でも日本経済はその恩恵を十分に享受してこなかった。経済協力開発機構(OECD)国際比較統計によれば、日本の輸出数量は1985年のプラザ合意の翌年から昨年まで、毎年ほとんど例外なく世界の輸出数量の伸びを下回る増加しか示していない。この結果、世界の輸出市場での日本製品シェアは86年の10.6%から昨年は6.6%まで落ち込んだ一方で米国とドイツのシェアは過去十年間、多少の上下動はあるがそれぞれ約11%、10%内外で安定して推移している。
 この間、日本より先に不動産ないし株式ブームが崩壊し不況に陥った英国、オーストラリア、スウェーデンなどでは、自国通貨の信認喪失から為替相場が大幅に切り下がった。これらの国では、通貨下落に伴う輸入物価の騰貴が国内物価の大幅上昇をもたらさないようにするため、許容されるインフレ率の上限について数値目標を設定し、金利の引き上げと財政の引き締めによって市場の信認を確保しようとした。その結果、インフレは抑制され、この間の自国為替相場の低下が輸出競争力の強化をもたらし、これらの国々の経済は90年代央には輸出主導型で回復し、不良債権問題も解消に向かった。
 一方、日本円は94―95年、日米通商摩擦が激化する中で急上昇し、一時は1ドル=80円を超す円高となった。当時、経済協力開発機構(OECD)経済総局長であった筆者は、サマーズ米財務次官(当時)を議長とする通貨問題などに関するOECD作業部会で日本当局に対し、(1)円の対ドル相場が120円を超えて円高になるのを防ぐため、通貨当局は必要ならば徹底的に為替市場で介入をすべきである(2)この間、日銀は短期金融市場金利がゼロ近辺まで低下するのを許容すべきである――という政策提言をした。しかし、提言のような政策運営が行われることはなかった。
 円相場急騰に伴い、日本の輸出数量は世界貿易数量増加の半分のペースでしか増えない状況となり、総需要の伸びの足を引っ張った(ただしドル金額ベースでは円高の交易条件効果で相当な伸びである)。しかも国際競争力を失った日本企業が東アジアなど海外へ生産拠点を移転する一方、コスト高の日本に対する欧米の直接投資にはさらにブレーキがかかった。こうして日本経済の「空洞化」が急激に進んだ。
 自国通貨をドルにペッグ(固定)していた東アジア諸国では日本の国際競争力喪失の半面として輸出ブームが起きた。さらに日本からの直接投資受け入れ、海外からの低利短期外貨借り入れの回転による設備投資・不動産投資などで好況となったが、やがて円の対ドル相場反転とともにブームは去り各国とも通貨危機で経済が縮小した。
 この東アジア危機の深刻化は日本経済に再び打撃を与えた。円相場は98年央に1ドル=145円まで軟化したが、サマーズ米財務副長官(当時)の来日を機に、同年中に一気に105円まで上昇した。これにより決定的となった日本の中小・中堅企業の国際競争力喪失に伴う世界輸出市場での敗退はその後、今日まで改まっていない。
 この間、日本は財政拡大による国内経済振興策をとった。しかし、財政赤字拡大は貯蓄・投資バランスのいかんにもよるが、方向としては長期金利を引き上げ、円相場を押し上げる圧力を生む。こうした環境下では財政政策は景気政策としては金融政策ほど有効ではない。また、金融機関の自己資本充実などによる貸し出し機能強化、最近議論されている日銀購入資産の多様化・拡充も、円の行き過ぎた上昇がもたらすデフレ圧力を解消できない。
 国際価格競争力を失った企業が自助努力で競争力を取り戻すには、リストラで賃金その他のコストを切り詰めるしか道がない。しかし、日本の企業全体がこの道をとり、そのうえオーソドックスな金融財政政策により内需を拡大する政策もとられないならば、名目国民所得は減少を続け、名目通貨需要、従ってマネーサプライも伸びない。名目値で巨額の債務を負っている企業や一部家計のバランスシート問題はさらに深刻となり、新たな不良債権が発生し、デフレで縮む経済の悪循環が続いていくのである。イラク戦争が事実上、早期終結したが、米国経済の急速な立ち直りは期待できない。欧州経済も停滞色が強い。海外の経済環境が良くない中で、日本経済の回復を図るのは容易ではない。
 しかし、海外環境が順調な時期でも日本経済はその恩恵を十分に享受してこなかった。経済協力開発機構(OECD)国際比較統計によれば、日本の輸出数量は1985年のプラザ合意の翌年から昨年まで、毎年ほとんど例外なく世界の輸出数量の伸びを下回る増加しか示していない。この結果、世界の輸出市場での日本製品シェアは86年の10.6%から昨年は6.6%まで落ち込んだ一方で米国とドイツのシェアは過去十年間、多少の上下動はあるがそれぞれ約11%、10%内外で安定して推移している。
 この間、日本より先に不動産ないし株式ブームが崩壊し不況に陥った英国、オーストラリア、スウェーデンなどでは、自国通貨の信認喪失から為替相場が大幅に切り下がった。これらの国では、通貨下落に伴う輸入物価の騰貴が国内物価の大幅上昇をもたらさないようにするため、許容されるインフレ率の上限について数値目標を設定し、金利の引き上げと財政の引き締めによって市場の信認を確保しようとした。その結果、インフレは抑制され、この間の自国為替相場の低下が輸出競争力の強化をもたらし、これらの国々の経済は90年代央には輸出主導型で回復し、不良債権問題も解消に向かった。
150−160円での目標圏設定も
これを打開するのが円高の是正である。メルツアー(カーネギー・メロン大)、スティグリッツ(コロンビア大)、スヴェンソン(プリンストン大)ら米国・欧州の一部有力学者も円高是正が日本経済の建て直しに必要であることをかねて主張してきた。そして、メルツアーなどのマネタリストは、日銀がマネタリーベースの増加政策をとれば、円安が生じデフレ解消につながるとも述べている。しかし、日本の短期政策金利がゼロ近傍に張り付き、マネタリーベースが過去二年近く大幅に増えたものの、実際には円安は生じなかった。円高の是正を図るには為替政策と金融政策の一体運用による円相場の調整と内外経済の構造調整策を、貿易相手国の理解を得て推進することが必要なのである。
 筆者は、日本経済再建策の第一の柱となるのは財務省・日銀共同での為替相場目標圏の設定・公表(当面は1ドル=150―160円)であると考える。スヴェンソン教授が提案しているように、1ドル=150円ないし160円での固定為替相場制度に移行することも一案である。技術的にはドル買い介入は無制限にできる。為替相場目標圏の設定に当たっては米国などとの協議が必要である。
 第二に、日銀は、名目為替相場が直接的に、また実質為替相場が総需要に及ぼす効果を通じて間接的に、物価に影響を及ぼすことを重視しつつ金融調節を行い、当面、ゼロ金利維持の政策を堅持することである。
 第三に、財政当局は、中期的に見て財政赤字を構造収支(景気変動などによる税収の増減、失業手当て支払いなどの変動を捨象した収支尻、景気調整済収支)ベースで徐々に削減する目標を設定する。いわゆる財政の自動調整機能(ビルトインスタビライザー)の作動を認めるのである。これにより、財政年度途中での補正予算議論などで市場の期待が不安定になることを避ける。
 第四に、日銀は為替相場・財政政策に関する上記のような政府側の方針決定を踏まえて、二年間を政策目標期間とする物価水準安定目標を設定する。そして、デフレ解消の目処がたった段階で、次の段階として物価上昇率に関する数値目標の設定を検討する意向を明らかにする。これが為替市場におけるデフレ長期継続の期待を払しょくし、円高の是正に役立つ。
 現実の物価の動きは金融政策の効果だけでなく財政政策スタンス、名目実効為替相場、一次産品価格などの動きにも影響されるので、日銀はこれらに関する前提条件を明示した上で政策期間内の物価予測を発表し、事後的には実績と予測の乖離を分析した結果を公表すべきである。
貿易相手国の理解得る努力を
 円相場の調整については近隣諸国や貿易相手国に大きなコストがかかると反対する意見が聞かれるが誤解である。メルツアー教授は「これらの諸国にとって日本のデフレもまたコストが大きい」と指摘している。
 もっとも、円相場調整に伴い超優良企業の国際競争力が急速に強まり、貿易摩擦を激化する恐れがないとはいえない。これら企業の輸出利得に対して若干の輸出調整税を課すことも一考に値する。これは、低い資本市場金利で資金調達できない中小企業の競争上の不利を多少とも是正する効果もあろう。
 同時に、内外で競争を促進する国内競争政策の強化、新多角的貿易交渉を通じた積極的な貿易自由化政策などにより日本の輸入依存度を中長期的に高める政策を進め、経済再建のための一時的な措置に過ぎない円相場調整について、貿易相手国の理解を得なければならない。貿易相手国における保護貿易主義の台頭を防ぐためにも、日本国内の改革を急がなければならない。
 
39年生まれ。東京大卒。元日銀金融研究所長。97−99年OECD副事務総長。