繁栄のための新たなモデルを求めて

経済協力開発機構(OECD)前副事務総長
重原 久美春

OECDオブザーバー誌発刊40周年記念号(2002年12月)特別寄稿論文(英文)の抄訳
幾つかの歴史的事実が、昨今の我が国、更には欧州大陸諸国の経済困難の陰に隠れがちになっている。これらのうち特に重要な事実は、過ぎ去った半世紀の間に、日本と欧州が嘗て経験したことのない経済的繁栄を実現したこと、しかも、こうした経済発展が二十世紀前半二度に亘った世界大戦による荒廃の後に生じたこと、である。一体、第二次大戦直後に、広島市やドレスデン市を訪れ、瓦礫に帰した姿を見た人々には、今日の繁栄した町並みは夢想も出来なかったであろう。戦後の混乱期を経た後、1950〜60年代のほぼ二十年間で、日本と旧西ドイツの両国は、それぞれ世界第二、第三の工業国家の地歩を確立した。
両国の経済奇跡は、どのようにして実現したのであろうか。一つの重要な理由は、選択の自由が失われていたことであった。両国は共に戦敗国として、戦後、輸出市場を確保するため、あるいは海外の天然資源を確保するために軍事力を行使する道を閉ざされたこともあって、良く教育された自国の労働者、経営者、銀行家や新しい民主国家の公務員などが一致団結して、自力で経済復興を果たす道しか開かれていなかった。確かに、戦後の国際貿易体制の自由化や総じて順調な海外環境が助けとなった。しかしながら、自国民が一致団結して、付加価値のより高い製品、高度の技術の応用への不断の努力を行うことなしに、両国の高い経済成長と社会公正の実現はありえなかった。両国は、自由な市場経済原則の大枠のなかで、それぞれ独自のモデルを構築した。その高度な工業経済と比較的平等な社会の実現は、自由主義体制国家の成功例の典型として、冷戦下、計画経済国家の停滞と大きな対照をなし、全世界に誇示できるものとされた。
勿論、こうした歴史的な事実は、自由主義諸国経済間に戦後、何ら問題が生じなかったことを意味するものではない。1960年代には、アメリカにおいて、ヴェトナム戦争に伴う政府支出の増大などからインフレ圧力が次第に高まり、やがて国際収支の赤字がドルを機軸通貨とした金・為替本位制度に対する信認を揺るがす事態となった。1973年におけるブレットンウッズ固定平価制度から変動為替相場制度への移行は、自由主義諸国経済が外的ショックを吸収する能力を高めるものではあった。確かに、もしこうした通貨制度の下でなかったとしたら、日本のように石油の輸入依存度が高い国は、二度に及んだ石油ショックに面して、もっと甚大な影響を受けたであろう。しかしながら、変動為替相場は国際収支不均衡を解決する万能薬ではなく、また自由主義諸国の国内経済運営を対外的な制約から完全に開放するものでもなかった。為替相場は新しい制度の下で、時に、各国間のインフレ率格差など経済の基本的な要因では説明出来ない、急激かつ撹乱的な動きを示してきた。この結果、自由主義諸国経済の間で、生産物そして生産資源の配分が歪められ、国際収支赤字国に保護主義の圧力が高まるなどの動きも生じた。
自由主義諸国は、国際経済面において、引き続き多くの難問を抱えている。それらのうち、最も基本的な問題の一つは、諸国の経済運営を相互に利益のなるように運営するにはどうしたらよいか、ということである。国際経済運営には、一国主義、二国間協力、地域内協力、多角的協力など様々な態様があり得るし、これらの態様は相互に相容れないものとは限らない。
地域主義の典型は、欧州連合(European Union)に見られる。もともと欧州諸国間の経済協力は、二十世紀前半の相克を過去のものとして、第二次大戦後における平和の実現と経済社会の発展を図ると共に、圧倒的な米国の経済力とドル中心の国際金融秩序からの独立を目指して進められてきた。そして、まだ完成には程遠い分野を残しながらも、財、サービス、資本や労働力の域内国間の移動に関する自由化が進められ、十二カ国において単一通貨が流通するようになった。欧州連合は、今や、地域主義の下での国際協力の事例として完成度が最も高いものとなっている。
欧州単一市場の発足前には、域外国の対する単一市場の共通貿易政策が実質的にみて保護主義的な方向に転ずるのではないかという懸念が同市場内外国の一部に存在したが、それは杞憂に終わった。単一市場の域外国に対する輸入障壁の平均水準は低下の趨勢にある。